私と女性会議

○津和野で暮らす

私は結婚を機に津和野町で暮らし始めて、8年目になります。
当時は空き家バンクで家を探し、若者定住促進奨励金をもらいました。(現在は変わっているようです)
私が津和野町へ引っ越してきた当時、これがIターン者へ向けての支援でした。

○女性会議について

津和野町女性会議の委員を募集しているからと声を掛けてもらい、女性会議の1期委員になりました。
「置かれた環境において受け身になるのではなく、どのように働きかけるのかが大切。津和野町で生活する上で津和野町の良さはどんなところか、日常生活の中で立ち止まって考えみて欲しい。」女性会議の第1回目でコーディネーターの先生がそう言いました。初めは想像していた空気感と違っていたので戸惑いましたが、私でも日常生活で思うことはたくさんある!と思い、女性会議の委員として発言できるようなりました。
それから私は妊娠して1人目を出産。ちょうどその頃、津和野町との意見交換会が行われました。
津和野町長をはじめとする各担当課長と議会形式で行われるもので、持ち時間は1人20分。公民館に集まったりしながら、綿密に打ち合わせをして挑みました。そのとき、たまたま山陰中央新報の新聞記者の方から電話がかかってきて取材してもらい記事(写真参照)にもなりました。

 

そのとき私は産後ケアについて担当しました。伝えた内容はすぐに施策に反映され、今は当たり前のように実施されています。

つわの子育てどっと混む“大”会議という1期の集大成であるイベントもありました。私は子育て(不妊治療から妊娠、出産まで)をテーマに10名くらいの町民の方と意見交換をしました。
私達が2年間でしてきたことをお披露目する良い機会になりました。

また、島根県市町村総合事務組合主催の定住促進研修に女性会議を代表して講師として参加もしました。
市町村で定住促進を担当している職員に、女性会議の雰囲気を味わってもらったり、当時2人目を妊娠していた私が津和野町ではなく、他の町へ引っ越していたらどれくらいの給付金があったのかを質問させてもらったりしました。(その当時、多かったところで100万円相当だったと記憶しています。)
その後、自分の住みたい町とは何なのかをメインに話しを進めていきました。「なぜその町に住んで働いているのか?」という質問を投げかけたところ、住みたいから住んでいる人はいませんでした。自分が住みたくない町には他の人も住みたくないというのが結論で、自分が何となく住んでいる町に人を呼んできても定住に繋がりません。自分の住みたい町づくりをして欲しいなと思い、その事について話し合いました。
先日、「自分の住みたい町、子育てをしたくなる町を目指しています!」とニュースで話していた職員の方がいたので、嬉しく思いました。

○津和野で住み続けるためには

生活していく上で困っていることはたくさんあり、病院不足(とくに婦人科や眼科、耳鼻科)は深刻です。
婦人科はこのあたりでは、益田日赤にしかありません。益田日赤は紹介状が必要なため、別の病院で書いてもらって受診するか、山口市内の病院へ行くしかありません。「気軽に診察!がん検診!」というわけにはいかないのです。子育てに大切なのはお母さんの健康だと思います。待ち時間を気にすることなく、気軽に予約して行ける病院があるとすごく助かります。Lady go ~Tsuwano~では、そんな話をたくさんの人と共有し、みんなで声をあげていきたいです。

最近のこととしては、子育ても落ち着いてきたので、そろそろ正規雇用で働きたいなと思っていたのですが、津和野町内ではなかなか正規雇用での求人がありませんでした。そのため結局県外(隣の山口県山口市)の正規雇用として働くことになりました。津和野町に嫁いできたからには、津和野町内で働きたかったのが本音でしたが、仕方ありません。
まだまだ住み心地の良い町になるには課題が山積していることを実感しました。

これからLady go ~Tsuwano~ での活動を通して、UIターンで津和野暮らしを始める人が定住してくれるような、住み心地の良い町に少しずつでも近づけていきたいなと思っています。

mifuyu

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